頭痛が痛い

怪文を綴る腐女子

天ヶ瀬冬馬くんには“オフ”がある

いきなりタイトルと真逆のことを言っているツイートを並べまくって申し訳ない。しかし、これらは紛れもなく当時の私の本音だ。

これまでの冬馬くんに関する怪文を読んでいただければ薄々察していただけるかと思うが、私は冬馬くんのことを人間扱いしていない。正確に言えば、「天ヶ瀬冬馬」という概念と共に生きる冬馬くんのことを、人間という枠で見ていない。彼は「アイドル」という生き物だ。「アイドル」が先で、その次に「天ヶ瀬冬馬」で、「Jupiter」を挟んで、最後に「人間」が来る。人間でなくたって、犬でも猫でも、トンボだってオケラだってアメンボだって、それが「天ヶ瀬冬馬」であるならば「アイドル」となり得る。たまたま彼が今世では人間の器を得たというだけのことだ。言うなれば、「人間の身体とは不便じゃのう」とか宣うロリババアみたいなものである。

さて、冬馬くんと“オフ”の問題だ。ここで言うオフとは、アイドルの仕事がない日のことを指す。アイドルマスターSideMでは、月替わりでアイドルたちの「オフの日」を描いたガシャが更新されているのだ。オフの日を満喫するアイドルを2枚スカウトしてチェンジして「アイドルとしての真価を発揮する」もクソもないと思うが、そういうガシャにPは毎月怯えている。このガシャのことを、通称「オフショ」と我々は読んでいる。

オフショが始まった頃、私は冬馬くんのオフについて考えてみた。

大胆な寝言をほざいているが、恐らく真面目に思い浮かばなかったのだと思う。

“オフ”の冬馬くんとは、すなわち「アイドル」でない冬馬くんだ。それははたして「天ヶ瀬冬馬」なのだろうか?冬馬くんから「アイドル」を、「天ヶ瀬冬馬」を引いた時、残るものは何だろうか?

私には答えられなかった。

もちろん、冬馬くんにオフがあることは脳では理解している。しかし、そこではなく、もっと本能的な部分、喜怒哀楽を感じる部分で理解が出来なかった。理解したくなかったという方が正しいかもしれない。

話は少し逸れるが、アイドルマスター2における冬馬くんについて考えたことがある。IA大賞を獲れなかった彼は、アイドルとして頂点に立てなかった彼は、あの後どうなったのだろうか。私は、アイマス2の冬馬くんはアイドルを辞めたのではないかと思っている。アニメやSideMでアイドルを諦めなかった冬馬くんを見てもなお、そう思う。それくらい、あの時海辺にいた彼はとても儚く見えたのだ。Pが冬馬くんのあの言葉を受け取らなかった時点で、アイドルの「天ヶ瀬冬馬」は死んだ。

つまり、SideMの冬馬くんは死ななかった「天ヶ瀬冬馬」なのだ。彼は生きて、私のことを「プロデューサー」と呼んでくれる。別の世界線の話なので、どちらがいいとか悪いとかではない。ただ、SideMの冬馬くんは961プロを辞めても「天ヶ瀬冬馬」として生きることを選んだ冬馬くんだということだ。

そして、話はオフショに戻る。冬馬くんのオフの日、つまりあの肉体から「天ヶ瀬冬馬」の概念を引き剥がしたとき、それはすなわち「死」なのではないだろうか。休日を終えれば再び「天ヶ瀬冬馬」として生きるのだとしても、その休日を過ごしているのは「天ヶ瀬冬馬」の概念から解放された冬馬くんであり、それを私は冬馬くんと呼んでいいのだろうか?

私はアイドルの冬馬くんが好きだ。アイドルとして生まれた彼だからこそ、好きになった。もし冬馬くんがアイドルでなかったらここまで入れ込んでいなかった自信すらある。私が好きなのは、顔が良くて普段ヘラヘラしていて何を考えているのかよくわからないけど頭がめちゃくちゃ良いので裏では仲間のために奔走していていざとなれば自分が真っ先に死ぬつもりでいる、そういう男だ。私がグラブルでカインに堕ちたのも当然なのである。しかし冬馬くんは、上記には「顔が良い」以外全く当てはまらない。普段からキリッとしているし、何を考えているのか丸わかりだし、頭は悪くはないだろうが特別良くもないし、裏でコソコソするのは苦手だろうし、いざという時は自分も相手もまとめて生き延びようとするタイプだ。当てはまらないどころか真逆すぎて、いま羅列しながらビックリしてしまった。

ではなぜ私が冬馬くんを好きになったのか?

それは彼が「アイドル」だったからだ。それ以上に理由はない。

「アイドル」として眩しく輝いていた「天ヶ瀬冬馬」を、私は好きになった。

 

つまるところ、私は、「オフの日の冬馬くん」=「アイドルでない冬馬くん」を好きでいられるかという問題なのだ。

 

いや、知らんがな!!!!!!!!!!!!!!

ここまでダラダラと書いてきて、自分で知らんがなと思ってしまった。しかし当人にとっては知らんがなと思いつつも、深刻な問題なのである。冬馬くんのオフショはいつか必ず来る。貞子じゃないが、来る……きっと来る……きっと来る……。

 

 

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来た。

 

 

私がグラブルでリミテッドカインを引いてウハウハしていたら来た。

もしかしたら最近グラブルにうつつを抜かしていた私に渇を入れに来たのだろうか?冬馬くんは優しいなあ!よ~しおじさんプラチケたくさんちぎっちゃうぞ!

 

 

 

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グロ画像

プラチケをたくさんのRカードに変えたおじさんは、ふと気づいた。

 

「冬馬くんにも“オフ”あるじゃん」

 

あんなに恐れていたのに、カードを見るとその全部が消し飛んだし、なぜかおじさんにもなってしまった。あれだけ考えても答えが出てこなかった「天ヶ瀬冬馬」のオフを、私はあっさり受け入れてしまったのだ。

学校で同級生に囲まれて笑う冬馬くんは、確かにオフを満喫していた。

それでいて、「天ヶ瀬冬馬」も確かにそこに生きていると感じた。

私はずっと、冬馬くんのオフというのは彼から「天ヶ瀬冬馬」を引き剥がすことだと思っていたが、そうではなかったのだ。アイドル「天ヶ瀬冬馬」でありながら、冬馬くんはオフを満喫している。アイドルというのは職業ではなく、生き方そのものなのだ。たとえオフの日であろうと冬馬くんは「天ヶ瀬冬馬」であるし、「天ヶ瀬冬馬」もまた、冬馬くんである。世界中のみんなを笑わせたくて「天ヶ瀬冬馬」は生まれた。オフもオンも関係なく、冬馬くんは「アイドル」として生きている。彼のそういう生き方こそが、「天ヶ瀬冬馬」なのだ。周りの同級生を笑顔にしている冬馬くんは、間違いなく「アイドル」の「天ヶ瀬冬馬」であった。

それに気づいたとき、目から鱗ということもなく、淡々と「言われてみればそうだなあ」と思った。たぶん、いつかの記事で書いた怪文の中でも似たようなことを言っていたと思う。私は「オフ」という単語にとらわれすぎていたのかもしれない。

いや、それ以上に、たぶん、おそらく、きっと、考えすぎだ。

私は冬馬くんのことについて、考えすぎなのだ。

私がこうして書いている怪文を、理解できない人は一生理解できないだろうと思う。もちろん理解してもらわなくても構わないし、なんなら理解しない方が良い。くねくねみたいなものだ。わカらナいホうガいイ……。

 

くねくねはさておき、プラチケは1枚残らずスッカラカンとなったが、冬馬くんは無事に引いた。

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ちなみに桜庭薫は推しだ。いつかこの2人がイベントで両面SRで来ないかなと思っているが、そのときは私が死ぬ時でもある(精神的な意味でも財布的な意味でも)。

前回に引き続き、推し(担当)のガシャで勝利したのを自慢しているだけのカスブログになってしまった。このブログ、怪文かガシャ自慢の記事しかない。今回は怪文もガシャ自慢も盛りだくさんの2本立てでお届けしたが、いかがでしたでしょうか?

冬馬くんにもオフがあるというのは驚きでしたね!

今後の活躍にも期待です♪

 

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うっかりクソカスアフィブログの締め方をしてしまった。

 

では、

冬馬、薫、俺「皆さん、ありがとうございました!」

冬馬、薫「ってなんで俺くんが!?改めまして、ありがとうございました!」

本当の本当に終わり