頭痛が痛い

怪文を綴る腐女子

“アイドルごっこ”と“プロデューサーごっこ”

私は天ヶ瀬冬馬くんのプロデューサーである。

だが、それと同時に私は天ヶ瀬冬馬くんのプロデューサーではない。

天ヶ瀬冬馬くんは紛れもなくアイドルだが、寺島拓篤氏はアイドルではない。

それでも彼は天ヶ瀬冬馬としてステージに立って、我々を「プロデューサー」と呼んでくれる。

アイドルマスターは「ごっこ遊び」だ。大人が大人のためにする、本気のおままごとである。アイドル“ごっこ”をする声優と、プロデューサー“ごっこ”をするファンのぶつかり合い、それがアイドルマスターだと私は思っている。

 

SideM4thライブ2日目、私はさいたまスーパーアリーナにいた。担当をこの目で見るためである。ちなみに1日目は地元のライブビューイングで見たが、ハチャメチャに楽しかった。担当の出ないライブは最高に楽しい。なぜなら担当がいないからだ。しかし、2日目は担当がいる。だから私はわざわざ埼玉までやって来た。大槻唯は「なんもない」と言っていたが、いざ実際に訪れてみると、榎木淳弥氏のバカデカい自宅があった。

私はライブに限らず、オタクが集まるイベントでは毎回自分が一番強いオタクだと思って現地に臨んでいる。同人誌即売会だけはどう考えても机の向こうに座っている神の方が強いので勝てないが、そうでなければ私が一番強い。何をもってして勝利とするのかは知らないが、とにかく私はいつもそれくらいの気持ちで参戦している。

メンタルは自分でも強い方だと思う。あと闘争心も高い。実質牙崎漣だ。

そんな自分が最強大天才だと信じて疑わぬままライブ会場に入る私だが、出てくる時は毎回己の無力さに打ちひしがれてボロカスに泣いている。牙崎漣はどこへやら、姫野かのんにもワンパンで倒されそうな最弱の女になって出てくる。何故だろう。自分でもよくわからない。

ただ、寺島氏がステージで「天ヶ瀬冬馬」のパフォーマンスを見せてくれるたびに、彼が私を「プロデューサー」と呼んでくれるたびに、私は自分が情けなくなって、そこにいるのが恐ろしくなってしまう。

だって、私は冬馬くんのプロデューサーではないのだ。プロデューサーだと自称してイベントを走ったりガチャを回したりしているけど、私は、プロデューサーとして冬馬くんに何もしてあげられない。私は冬馬くんの力にはなれないのだ。

1stの時も私は現地にいたのだが、その時初めて生で寺島氏が「プロデューサー」と呼んでくれて、とても嬉しかった。私は冬馬くんのプロデューサーでいていいんだと、目の前が明るく開けたことを私は一生忘れないと思う。元が涙腺ガバガバ人間なのでもちろん1stの時も泣いていたのだが、それは「Jupiterがステージに立っている」という感動の涙だった。

けれど、1stの次の日に更新された寺島氏のブログを呼んで、私はその時初めて冬馬くんに対してネガティブな感情の涙を流した。ブログへのリンクは貼らないが、寺島氏の天ヶ瀬冬馬役としての思いやJupiterのこれまで、これからのことがたくさん綴られていた。

そのブログを読んで、私は自分の行いを振り返ってとんでもなく後悔した。私は、おそらくJupiterが一番つらかっただろう時期に、Jupiter役の3人はもうJupiterのことなんて忘れてしまっただろうと思ったことがあったからだ。言い訳をするとそのくらい何の未来も見えなかったからだが、それでもとんでもなく失礼なことを考えていたと思う。役者としての3人にとっても、Jupiterとしての3人にとっても、本当に失礼だったと後悔している。もちろん今は、3人ともJupiterをとても大切にしてくれていることを知っている。それでも、私の中では今でもその後悔がしこりとなって胸の端で疼いているのだ。

だから、寺島氏の声を借りた冬馬くんが「プロデューサー」と呼んでくれるのをこの耳で直に聞けることが、なによりも嬉しくてなによりも情けない。私に冬馬くんに「プロデューサー」と呼んでもらえる資格があるのだろうか。

本当は知っている。アイマスは「ごっこ遊び」なのだから、誰にだってプロデューサー役を演じる資格があって、誰だってアイドル役に「プロデューサー」と呼んでもらっていいのだ。もちろん私だって同じだ。1stの時に他でもない冬馬くんに肯定してもらったように、私は冬馬くんのプロデューサーでいていいのだ。

だが、私は「ごっこ遊び」に本気になりすぎて拗らせてしまった。

私は冬馬くんのことが好きだ。それは本当だと思う。いや、それすらもライブの直後はわからなくなる。寺島氏の本気の「天ヶ瀬冬馬ごっこ」に、私は「プロデューサーごっこ」で応えられない。あの時の後悔がいつまでも私を蝕んでいて、「プロデューサー役」の私を不安定にさせる。

その後悔も、客観的に見ればたいしたものではないのかもしれない。本人に直接言ったわけでも、誰かに言い回ったわけでもなく、ただ私が一人で「忘れてしまっただろう」と思っていただけの話なのだから。失礼だったのは間違いないだろうが、私が他人なら「気にしすぎだ」と私に言うような気がする。別にそう感じる人がいてもいいと思うし、私も誰かに肯定されたいわけでも、ましてや許されたいわけでもない。ただ、私が「ごっこ遊び」を拗らせるきっかけとなったそれが、未だにずきずきと疼いていることだけは確かだ。

冬馬くんはいつも前だけを向いて進んでいる。だから私がいつまでも過去のことを引きずっているのは、彼にとってプラスにはならないと思う。それでも私がこの傷を捨てられないのは、「自分を許せない」とか「戒め」とかそんなたいそうな理由ではなく、単純に「捨てられないから」だ。忘れるとまではいかなくとも、「そんなこともあったね」と笑って今のコンテンツを楽しむ方がよっぽど良いのはわかっている。なのに、私はこの傷を手放せずにいる。ずっとずっと、誰よりも冬馬くんの側で冬馬くんと歩いてきてくれた人を信じていなかったこと。「プロデューサー」として一番大切な「アイドル」を信じることが出来なかった、それだけが情けなくて、悔しくて、私はそれを考えるときだけ自分が世界で一番嫌いになる。

何度も言っているが、私はアイドルマスターを「ごっこ遊び」だと思っている。だから、こんな面倒なことを考えている自分が気持ち悪いし、自分にドン引きしている。私は「プロデューサー役」に入り込みすぎなのだ。その割に己の無力さが憎いと泣き叫ぶ。今自分で書いていて、まるで悲劇のヒロインを気取っているようだな……と思った。マッチポンプもいいところである。

まあ他人にどう思われようが、私の後悔と涙は「悲劇のヒロイン」を演じるためのものではないと自分でわかっている。もちろん「プロデューサー」を演じるためでもない。私が「天ヶ瀬冬馬ごっこ」をする寺島氏に勝てない唯一の原因であるだけだ。私だって担当の晴れ舞台は泣かずにちゃんとこの目でしっかりと見たい。それなのに、「彼」には絶対に勝てない。プロデューサーミーティングの2日目、最前からステージの上の「彼」を見たとき、私はそれを確信した。最後のドライブアライブで涙が枯れるほど泣いて、ああ私はこの先もずっとこの後悔を抱えたまま「彼」をこの目に焼き付けるのだ、と。

いつかこの後悔を手放せる日が来るのなら、それはとても喜ばしいことだと思う。無かったことにはしたくないが、何かをきっかけに吹っ切れることが出来たら、その方が絶対に良い。だが、その日が来るまではこの後悔は私だけの傷だ。ぶっちゃけた話、SideMひいてはアイマスから離れてしまうのが、この後悔を手放すのに一番手っ取り早いのだろう。それでも私がそれをしないのは、天ヶ瀬冬馬くんのことが好きだからだ。それ以外に理由なんてない。私は冬馬くんがいる限りプロデューサーでありたいし、寺島氏が「天ヶ瀬冬馬ごっこ」を全力で続けてくれる限り私もいつか全力の「プロデューサーごっこ」で応えたい。

2015年の12月から、2019年の5月まで。私の冬馬くんへの思いを整理して言葉にするまで、4年もかかった。我ながら、よくもまあこんな気色の悪い怪文を4年もかけて書いたものだと感心する。しかし、そもそもこのブログは、私の天ヶ瀬冬馬くんに対するクソデカ感情を言語化するために開設したのだ。決してグラブルの面白日記を書くためではない(書くけど)。私は頭が悪いので、自分の感情を一旦言語化して客観的に見ないと整理することが出来ないのだ。今こうして文字に起こして初めて、「私は冬馬くんに対してこんなクソデカ感情を抱いていたのか……」と実感している。あまりに重すぎて気持ち悪いので、耐えられなくなったら消すかもしれない。

 

書きたいままにつらつらと書いていたら、全然まとまらなくなってしまった。もし、この記事のあまりにドロドロした重さで気持ち悪くなった方がいたら申し訳ない。他の冬馬くん関連の記事ではこことは違ってポジティブな方向に気持ち悪いので、ぜひそちらでお口直しをしていただきたい。冬馬くん関連の気持ち悪くない記事はない。すまんな。

最後になってしまったが、SideM4thお疲れさまでした。次は榎木淳弥氏がもっと巨大な家に引っ越してくれることを願うばかりである。