頭痛が痛い

怪文を綴る腐女子

一匹のクチートと10年を過ごした話

 

ポケットモンスター」をご存じだろうか。

まあ今時、全く知らんという人間を探す方が難しいと思うのでこの前置きにはなんの意味もないのだが、ポケットモンスター、縮めて「ポケモン」の話をする。

 

 

私がポケモンに出会ったのは、小学校低学年の頃、父方の実家に帰省していた時だった。

この父方の実家というのが某県の山奥で、周囲を山と田んぼに囲まれた、まさしく絵に描いたようなド田舎であった。当然近くに娯楽施設なんてものはなく、公園どころかドラえもんでいう「空地」みたいな遊べる場所もない。田舎者ガチ勢の方には「山で遊べるだろ」などと言われそうだが、都会のニュータウンで育った私に山で遊ぶなんて選択肢はなかった。

それでも帰省しないという選択肢はなかったので、毎年夏になると一週間ほどその実家で過ごしていた。娯楽がないながらもそれなりに楽しく過ごしていたと思うのだが、小学校低学年のある時、実家から車で2時間ほど走って今でいうイオン的な施設に出かけた際に両親が私に買ってくれたのが、ゲームボーイカラーポケットモンスター金であった。それが、私とポケモンとの出会いだ。

私はこれらを買ってもらうまで、いわゆる「ゲーム」を一切やったことがなかった。ゲームボーイはもちろん、ファミコンなどにも全く触れたことがなく、存在しか知らなかった。夜に実家の縁側に座りながら、ゲームボーイカラーを起動した。いきなり知らんジジイが出てきて名前を聞かれたので、律儀に本名を入力した。

生まれて初めてゲームに触れた私には、「セーブ」という概念がなかった。何度も初めからやり直しては、だいたいヒワダタウンにたどり着く辺りで勝手に冒険を終えていた。キキョウシティのジムリーダー、ハヤトは私に累計20回くらい倒されていたと思う。今思えばポケモンの良いところを全部無視した遊び方だったのだが、「セーブ」の概念がなかったのだから仕方がない。しばらくしてメニュー画面に「レポート」という謎の項目を見つけるまで、ずっとそうやってポケモンを楽しんでいた。

その後セーブの概念を得た私は、ポケモンに夢中になってその世界を思う存分堪能した。なぜか父も時々私のソフトで遊んでおり、いつの間にかミカンは倒されていたしチャンピオンロードも抜けていた。一通りストーリーをクリアしたあとも、自然公園の虫取り大会に毎回律儀に参加しては二位くらいの微妙な結果を残すなどして楽しんでいた。知り合いのお姉さんに交換でもらったピカチュウをレベル100にして、かみなり・10まんボルト・でんきショック・かいりきというゴミみたいな技を覚えさせて連れ回したりもした。そのピカチュウが先頭にいるときにスイクンと遭遇してしまい、うっかりでんきショックで倒してしまったこともあった。今のポケモンに比べるとクリア後のエンドコンテンツはかなり少なかったが、それでも私はポケモンに夢中になっていた。

 

ポケモン金を遊びつくした私は、当然次回作であるルビー・サファイアも買ってもらった。この頃から弟もポケモンに手を出し始め、私はルビーを、弟はサファイアを選んだ。そしてストーリーを進めていたわけだが、ここで私は運命の出会いをする。

そう、クチートである。

流行に流されやすいミーハーな住民ばかりのムロタウンのすぐ近くに、「いしのどうくつ」という名前の意味が全くない洞窟がある。どの洞窟もだいたいは「いしのどうくつ」だろ。で、その洞窟を探検していた私は、ここで初めてクチートと出会うことになる。初見は口だけのモンスターが出てきたと思って腰を抜かした。見たことのないポケモンだったので、とりあえず捕獲した。そして手持ちに空きがあったため、クチートはそのまま行動を共にすることになったのだった。

私は先ほど捕まえたばかりのクチートをバトルで使ってみようと思った。今思えば行動が完全にサトシそのものである。そんなアニメポケモンを見て育ったサトシマインド継承者の私は、野生ポケモンとのバトルでクチートを繰り出した。ハイパーキュートなお顔がこちらを向いていた。私は一瞬でクチートに心を奪われた。これまで漠然と「ピカチュウが好き」という思いはあったものの、ここまでハッキリと「好き」を自覚したポケモンクチートが初めてだった。

その後クチート「おくち」とニックネームをつけ、スタメンとして起用しひたすらに可愛がった。おくちちゃんはいろんなタイプの技を覚えてくれるし、はがねタイプなので半減できるタイプが多かったこともあり、様々な場面で大活躍してくれた。なにより、とっても可愛い。バトルの時にトレーナーの方に正面を向いているという姿が新鮮でもあり、特別感もあった。相手から見れば大きな口を持った恐ろしいポケモンなのに、私から見えるのはくりくりとした赤くて大きな目。そのギャップがたまらない。これほど可愛いおくちちゃんなら、かわいさコンテストでも優勝間違いなしだと確信してかわいさコンテストに出場させるも、審査員の評価は散々だった。彼らの目は腐っている。審査員は向いていないので辞めた方がいい。どう考えてもうちのおくちちゃんは世界一可愛いだろ。ミナモ美術館の二階も5枠全ておくちちゃんの絵で飾るべきだと思うが、一向に声はかからなかった。なぜだ。

ルビーは何度もリセットしてストーリーを繰り返しプレイしていたのだが、リセット前におくちちゃんは必ず弟のサファイアに送っていた。そしてリセットした後に送り返してもらうのである。おくちちゃんは生まれ変わった私と何度も冒険した。何度も殿堂入りして、何度もからくり屋敷を制覇して、何度もひみつきちを作った。ちなみに、マボロシ島には一度も行けなかった。いつか、おくちちゃんとあの島へ行きたいとずっと思っていた。毎日キナギタウンのおじいさんに話しかけた。「きょうは マボロシじま みえんのう…」ではない。もっと血眼で探せ。

 

その後も、ポケモンは次々と新作を発表し、私はそれらを楽しんだ。シンオウ地方で一生ちかつうろに引きこもったり、またジョウト地方に帰ってきてまた虫取り大会に励んだりなどしていた。もちろん愛しのおくちちゃんは新シリーズが出るたびに通信して新しいソフトに送っていた。そして私がハートゴールドで虫取り大会やポケスロンに勤しんでいた頃、一緒にポケモンを楽しんでいた友人らの様子がおかしくなった。よくわからん専門用語を使い始め、自転車でコガネシティを端から端まで何往復もしていた。中には謎のタイマーを駆使して何かを粘る奴も出てきた。そう、俗にいうポケモン廃人である。なんとなくの存在は知っていたものの、頭の悪い私には無理だと思って手は出さないでいた。私はおくちちゃんと一緒にいられたらそれでいい。新しいソフトが出ればもちろん新しいポケモンと出会ってその地方で選んだポケモンと旅をするが、それでも私の中の一番はおくちちゃんただ一匹だった。クチートという種族ももちろん好きだが、私が好きなのは「おくちちゃん」という一匹のクチートだ。ルビーからずっと、私の一番のパートナーだった。

 

 

 

そんな私に、悲劇が起こる。

なんと、ハートゴールドのソフトを紛失したのである。

泣きながら家中ひっくり返して探した。引き出しの中も全部引っ張り出した。ゴミの中も漁った。弟も両親も一緒に探してくれた。それでも、結局ソフトが見つかることはなかった。

あのハートゴールドには、これまでの私のポケモンの歴史が詰まっていた。これまで捕まえた伝説のポケモンや映画の前売り特典のポケモン、全部があのソフトにいた。

 

そしてなにより、おくちちゃんがいた。

 

十年近く一緒に過ごしてきた彼女は、ハートゴールドのソフトと共にいなくなってしまった。

これまでの人生で一番といっていいほど落ち込んだ。夜、ベッドで朝まで泣いた。サトシのピカチュウと同じように、おくちちゃんは私のかけがえのないパートナーだった。たかがゲームのデータだと思う人もいるかもしれないが、私がおくちちゃんと旅して過ごしてきた時間は本物なのだ。私とおくちちゃんは、ソフトを超えていろんな町に行った。いろんなトレーナーと戦った。いろんなポケモンと出会った。ずっとずっと、私はおくちちゃんと過ごしてきた。これからもずっと一緒にいられるものだと信じて疑わなかった。これからも、おくちちゃんといろんな地方に行って、いろんなポケモンに出会いたかった。マボロシ島、結局一度も行けなかったね。おくちちゃんは知らないと思うけど、今はメガシンカっていうのがあるんだよ。おくちちゃんもメガシンカできるんだよ。してみたかったよね。もっと強くなりたかったよね。私も、おくちちゃんがメガシンカした姿を見たかったよ。

今でも、クチートを見ると彼女のことを思い出す。あの子は今どこで何をしているのだろう。もしかしたら、ずっと私の帰りを待ってくれているのかもしれない。もしかしたら、いつまでも帰ってこない私に愛想をつかしてしまったかも。そうだったら悲しいけど、仕方ないよね。でも、私は今でも、おくちちゃんのこと大好きだよ。おくちちゃんは私と一緒に過ごしてきて、幸せだったのかな。そうだったら、嬉しいな。

 

 

 

 

それから、数ヶ月が経った。

 

 

 

 

 

めちゃくちゃポケモン廃人になった。おくちちゃんと過ごしてきた時間より、自転車を乗り回して努力値を振ったりしている時間の方が長くなった。

 

おくちちゃんはポケ廃の私を見て何を思うだろうか。

嫌われてなければいいなと思う。