頭痛が痛い

怪文を綴る腐女子

ちょっとだけ飼っていた猫の記憶

 

 

数年前、ちょっとだけ猫を飼っていたことがある。

誤解のないよう言っておくと、「ちょっとだけ」というのは期間の話であり、「しっぽだけ飼育していた」とかそういうことではない。

具体的な日数は忘れてしまったが、たぶん二週間とかそのくらいだったと思う。私がまだ学生だった頃、それくらいちょっとだけ猫を飼っていた話である。

 

 

 

その猫は、実家のマンションの敷地内でよく見かける子猫だった。ペットショップで見るような子猫よりもだいぶ小さく、猫に関してド素人の私が見ても生まれて間もないだろうと推測できるほどだった。しかも見かけるのはこの子猫だけで、兄弟や親と思しき猫は全く姿を見せない。親とはぐれてしまったか、誰かに捨てられたのだろう。こんな小さな子猫が自然の中で生きていけるのだろうか……と私は子猫を見かけるたびに心配していた。

子猫はしばしば近所のクソガキ子供に追いかけ回されており、そのせいか次第に見かける頻度が減っていた。子猫の存在は家族も知っており、「心配だね~」と話題にすることもあった。

そんなある日の夕方。母にゴミ捨ての任務を命じられ、私はえっちらおっちらとゴミ袋を運んでゴミ庫にそれを投げ捨てた。そしてマンションのオートロックを解除してもらうためにインターホンを押そうとした瞬間。

 

\ピャー/

 

背後から子猫の鳴き声がした。振り返ってみると、そこにはあの子猫がいた。子猫はピャーピャーと鳴きながらこちらへ近づいてくる。私は慌ててインターホンを押した。

 

私「ママ!助けて!猫がおる!」

母「は?」

 

「娘が猫に襲われている」という誤解を解くと、母は「待ってて」と言い残してインターホンを切った。母が降りてくるまでの間、私は子猫と見つめ合う。きっとこの子猫は、空腹の限界なのだろうと思った。背に腹は代えられぬ、と人間に助けを求めているのかもしれない。

しばらくして、母が降りてきた。手した皿には、牛乳とそれに浸した食パンが入っている。おそるおそる子猫の前に差し出すと、子猫はすぐにがっつき始めた。やはり腹が減りすぎて死にそうだったようだ。私はワンピースの「死にかけの海賊にサンジがこっそりピラフを作ってあげる」シーンを思い出した。この子猫が人間だったら、たぶんあの海賊のように涙を流してサンジならぬ母に感謝しているだろう。それと同時に、「このまま野良で暮らしていたら、この猫はそのうち死ぬのではないか」そんな考えが脳を過った。

(※後に調べてわかったのだが、猫に牛乳やパン等を与えてはいけないらしいです!!!!当時の我が家の猫知識は全てトムとジェリーから得ていたので許してほしい。トムの奴は人間の冷蔵庫からなんでもバクバク食っていたので)

このまま子猫を置いていっていいのか?いや、そんなわけがない。決断してからは早かった。私は子猫をむんずと掴み、「連れて帰る」と母に宣言した。母もさすがに子猫を残していくわけにはいかんと思っていたようで、そのまま子猫は我が家まで連れていかれた。タオルを敷いたカゴに子猫を入れ、母は車をかっ飛ばして猫用のトイレや猫缶などを買ってきてくれた。

しかしここで問題なのは、我が家で猫を飼うのは難しいということである。弟が軽度とはいえ猫アレルギー持ちだったからだ。なので、我々は里親を探すことにした。

 

こうして、我が家は少しの間だけ猫を飼うことになったのである。

 

子猫を拾ったその日の晩、外は大雨と強風で荒れていた。子猫が外にいたら本当に死んでいたのではないかと思い、ゾッとした。

 

 

 

私は子猫に名前はつけなかった。いずれすぐに別れが来るのだから、名前なんてつけるべきではないと思っていた。なので、私はずっと「猫」と種族名で呼んでいた。

病院で診てもらったところ、猫はオスで、まだ生後二週間ほどらしい。猫に関する知識がほぼ皆無な我が家であったが、猫は元気に過ごしていた。ガリガリだった身体は飯の食いすぎでおなかぽんぽんになり、毎日ドタバタと走り回っていた。猫は出窓から外を眺めるのが好きだった。クッションを置いてやると、何時間でも外を眺めていた。猫は障子を破るのも好きだった。障子の一番下の列は全て猫に破壊された。今思うと、下段だけで済んだのは奇跡である。

猫はなぜか私に一番懐いていた。家族でリビングにいる時は猫もリビングにいたが、私が自室で過ごしていると猫もすぐに入ってくる。朝も毎日猫に起こされた。私がスヤスヤ眠っているところにやって来て、腹の上にダイブしてくるのである。子猫とはいえそこそこの重さがあり、当時の私はそれで猫の成長を実感していた。他にも私が風呂に行くと覗きに来たり、私の「ただいま」にだけ反応して玄関まで走って来たりと、とにかく懐かれていた。普段友人宅の猫にはことごとく嫌われるので、変わった奴だなぁと思っていた。

ある日、私がソファで寝転がっていると、猫が腹の上に乗っかってきた。猫はそのまま私の顔までズンズンと寄ってくる。何かと思っていると、なんとキスをされた。正確には唇を舐められたのだが、実質キスと同じである。猫が呪われた王子様だったら、今のキスで元の姿に戻ってたのかもしれない。私から離れてお気に入りの出窓へ登る猫を見ながら、そんなことを考えた。

 

 

 

翌日。

悲劇が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とんでもない腹痛が私を襲ったのである。

 

場所は学校で、フランス語の授業の最中だった。それはもう、いまだかつて経験したことのないレベルの腹痛だった。「人生で一番痛かったことは?」と聞かれれば、絶対にこの時の腹痛を挙げる。ちなみに二番目は、割れたアクリル板に思いきり手を突っ込んで指が抉れたことである。指が横から見ると凹みたいな形になった怪我より、確実にあの時の腹痛の方が痛かった。

授業なんて聞く余裕もなく、私は机に突っ伏すので精一杯だった。恥を忍んでトイレへ行かせてくれと手を挙げようかと思ったが、一ミリでも動いたら「決壊」する。その確信があった。脂汗が止まらず、意識は半分遠のき、視界はチカチカと点滅している。このまま死んでもおかしくないとさえ思えた。本当はこのフランス語の時間に次の授業で発表する英語のスピーチを暗記するつもりだったのだが(授業を聞け)、完全にそれどころではない。私は今、生きるか死ぬかの瀬戸際である。スピーチでは「宇宙人は存在する」という内容を熱弁する予定だが、彼らは既に地球へ到達していたようだ。私の腹の中である。私の腹の中で、エイリアンが暴れているのだ。今日こそがまさにインデペンデンス・デイ、私の腸内で未知との遭遇が起きている。

たとえ道端に落ちている軍手を食ったとしても、ここまで腹を痛めることはないだろう。いったい私が何をしたというのだ。原因はなんだ?

心当たりがひとつだけあった。

 

猫のキスである。

 

本当にこれが原因だったのかは未だに謎だ。しかし、そうとしか思えない。私は割と腹が丈夫な方で、多少痛んだものを食べても平気だ。そもそも最近痛みやすいものを食べたわけでもない。絶対に猫のせいだ。猫のキスのせいで何かしらの菌が、エイリアンとなって私の体内を侵略しているに違いない。キスのおかげで王子様になるどころか、下痢便になりやがった。真逆すぎるだろ。

あの日の教室で私が強烈な腹痛を耐え忍んでいたとは、おそらく誰も知らないだろう。というか知られてたら困る。幸い授業が終わる頃にちょうど腹痛の波が引き、私はヨロヨロとトイレへ直行した。その後の英語のスピーチは特に問題なく終わったが、あの異常なまでの腹痛を乗り越えた後だということを加味して評価してほしいくらいだった。グリフィンドールに下痢ポイントプラス100点。

 

 

 

ちなみに猫は、腹痛事件から程なくして里親が見つかり、すぐに引き取られていった。両親が猫を引き渡すために涙を流しながら家を出ていった時、私は弟から「デュラララ!!」のポスター(弟が買った雑誌の付録)を買い取るために金額の交渉をしていた。我々姉弟は、猫に関してはどこかシビアだった。

それまで完全な犬派だった母はこの一件で猫派に堕ち、今でも猫グッズを集めている。私もあれ以来野良猫を見ると、あの猫のことを思い出す。一緒に過ごした時間が短すぎたせいでなんだか幻だったようにも思えるのだが、あの日の強烈な腹痛の記憶は鮮明に残っていて、確かに我が家には猫がいたことを思い出させてくれるのだった。

 

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あとこれは完全にとばっちりだが、あの日以来フランス語が苦手になった(腹痛を思い出すので)。