頭痛が痛い

怪文を綴る腐女子

天ヶ瀬冬馬くんの話

 

SideM沼に嵌った人間、はてなブログで長文語りしがち説。

 

決してバカにしているわけではない。自ジャンルの沼に堕ちた人間の自分語りほどワクワクするものなどそうそうないのだ。朝食バイキングでシェフが目の前でスクランブルエッグを作ってくれるブースを発見したときくらいワクワクする。みんなもっと書いてほしい。私は長文語りが好きなのだ。同人誌の後書きも本編と同じボリュームで欲しいと願ってやまない。

それはどうでもよい。いやどうでもよくはないが、私がしたいのはそういう話ではない。タイトルにもあるが、私は「天ヶ瀬冬馬くん」について語るべくわざわざブログを開設したのだ。ツイッターでは冬馬くんについてカスみたいなツイート(※1)しかしていないが、かつて小学生のころ親に自分のブログを見られた挙句「才能がある」と褒められた私が、その才能を駆使して彼について語りたいと思う。ちなみに大学でもエッセイだけはめちゃくちゃ褒められた(小説をボロカスに貶されたので大学は辞めた)。

(※1)カスみたいなツイートの一例

 

 

 

諸君、私は天ヶ瀬冬馬くんが好きだ。よく腐女子はキャラを好きすぎるとフルネームで呼ぶとか言われているが、私の場合「~くん」が最上位である。私が「~くん」呼びを徹底しているのは天ヶ瀬冬馬くんと猿投山渦くんだけだ。この時点で私の中では「相当好きだな」と思えるのだが、如何せん他人には理解してもらえない。だからというわけではないが、私は自身の「好き」を可視化させるタイプだ。具体的には金をかけたがる。金がなくても愛は表現できるが、愛がなければ金はかけられないと思っている。グッズはもちろん、ゲーム内イベントでもそこそこ上位にいる。さすがに1位になったことはないが、1桁順位の経験はある。自慢か?と言われれば、ハッキリ言うが自慢だ。金と時間をかけたことを自慢して何が悪い。別に私が1番だとは思っていないし(事実1位ではない)、他に私が自慢できることと言えば「生命線が異常に長い」くらいしかないので許してほしい。

話は逸れたが、とにかく私は冬馬くんが好きなのである。しかし、「天ヶ瀬冬馬くんの何が好きなのか」と問われるとこれが難しい。友人等にいきなり訪ねられたら「えっ待って」と告げた後10分悩んで「宿題にさせてくれ」と申告する自信がある。これでは友人にも迷惑である。S.E.Mに「宿題!」「忘れない!」と言質をとられているとはいえ、出してもいない宿題を提出されても困るだろう。私ならドン引きする。というわけで、今後そうならないためにもまずは「天ヶ瀬冬馬くんのどういうところが好きなのか」を文章化せねばなるまい。

 

1.見た目

「いきなりレベルが低いな」などと思わないでほしい。アイドルである以上、見た目は大切だ。ビジュアルレッスンがなんなのか未だによくわかっていないが、とにかく見た目は重要視されるべきだ。私がジャ…ーズで好きな子といえば、今…翼・手越…也・櫻…翔・中…健人等々だが、全員見た目から入っている。彼らと並べるのもなんだか忍びないが、冬馬くんも例外ではない。外ハネの茶髪、アホ毛、赤目、ロン毛。好きでしかない。実はジュピター初見のころに目をつけていたのは翔太だったのだが、彼もカチューシャ(ヘアバンド)、腋、ショタ等の理由で狙っていた。まるで犯罪者の供述である。しかし翔太はデコっぱちであった。私はデコが見えているのはあまり好きではない。デコは基本隠しておいて、たまにアップにするのが良いのだ。そこで冬馬くんに目をつけた。しかし彼は彼でタレ目だった。私はツリ目の方が好きだ。またしても微妙に惜しいなと思いつつ、とりあえずジュピターについて、動画やピクシブをいろいろ漁り始めた。その過程で冬馬くんの中身を知り、最終的に彼に落ち着くのだが、そこは後述する。

先にも述べたが、冬馬くんは私の好みの見た目である。唯一の懸念であったタレ目も、今は問題ではないどころか、めちゃくちゃ好きだ。あばたもえくぼ、というやつである。冬馬くんのタレ目は(というか北斗もなのでこれはアイマス2モデリングがそうなのだが)、目を閉じて笑うと目尻がきゅっと上がる。なんてキュートなのだろうか。冬馬くんの笑顔で大地に花が咲き乱れ、空には虹がかかり、鳥たちは歌い出し、世の中の核兵器はすべてあま~いお菓子に変わるだろう。冬馬くんが目を閉じてニコッとしているカードはSideMではあまりない(サーカスくらい?あれもニコッとは少し違う)のだが、アイマス2の「恋をはじめよう」のPVを見れば結構よくニコッとしてくれるのでぜひ見てほしい。

冬馬くんの良いところは顔だけではない。そのしなやかな身体もだ。まだ引かないでほしい。ここはまだ「見た目」の項目なので、見た目の話をしているだけだ。というわけで、ここで冬馬くんの公式プロフィールを見たもらいたい。

  • 身長:175cm
  • 体重:57kg
  • スリーサイズ:81-65-80

めっっっっっっっっっちゃ軽い。そして細い。二次元的プロフィールにマジレスするのもどうかと思うが、SideM全体で見ればリアルな身長体重の子もいるので、ここはあえてマジレスしたい。ちなみにBMI値は18.6だ。一応正常値らしいが、適正体重より10kgも軽い。ちゃんと食べているのか心配だが、少なくとも私よりはまともな食生活だろうからそこは安心だ。 冬馬くんのこの軽さは、「少年らしさ」だと私は考える。そう、彼は「少年」なのだ。まだ17歳だ。法が変わっても未成年だ。まだ大人になりきれていない未完成の身体だからこそ、冬馬くんは軽いし細い。完璧なパフォーマンスで魅せる傍ら、その未完成な身体というコントラストの美しさ。ともすれば危うさすら感じさせる。実際、コミカライズの巻末小説(カルボナーラ会議)では過労に耐え切れずぶっ倒れている。冬馬くんの強すぎるメンタルに、フィジカルが追い付けていないのだ。綱渡りのようなその危うさにヒヤヒヤすることもあるが、SideMでは今のところ倒れそうな気配はない。自分が納得するまで練習しすぎるきらいはあるが、止めてくれる仲間も増えたのでそこは安心していいとは思っている。倒れる倒れないは別として、冬馬くんの身体は未完成であることに非常に興奮するという話だ。人間は完璧なものよりは未完成のものに惹かれるらしいから、これは自然の摂理である。

 

2.真面目

 ロン毛でチャラそうに見えるが、冬馬くんはとても真面目だ。仕事にはいつも全力で取り組み、練習も欠かさない。原田泰造ではないが、曲がったことが大嫌いでもある。765Pに何度ヘンテコな名前で呼ばれても律儀に突っ込んでくれる。それも「ちげーよ!」「なんでだよ!」のような雑なツッコミではなく、こちらのボケをきちんと拾ってツッコんでくれる。なんて真面目なのだろうか。普通の人間なら、ふざけて何度も名前を間違えられたら三度目くらいで「まだこの流れやんの?」と思うだろう。だが冬馬くんは違うのだ。「ピピン板橋」と呼ばれようと「文字の数しか合ってない」ときちんとツッコんでくれるのだ。一瞬でピピン板橋の文字数を数えて天ヶ瀬冬馬と同じ7文字だと結び付けてツッコむなど、明石家さんまでも難しいだろう。おそろしいのは、冬馬くんはこれを「おもろいこと言ったるで!」と考えているわけではない。そもそも彼は神奈川県民であるので、そんなナニワイズムを持っているとは思えない。冬馬くんは単に真面目なのだ。目の前のことに全力でぶつかっているだけだ。たとえ雑なボケでも、彼は全力で返してくれる。そこが冬馬くんの魅力だ。だからこそ、Pとして冬馬くんには全力で応えたいと思える。適当な仕事では彼に失礼だろう。物事に全力で取り組むのが恥ずかしいとされる風潮の中で、冬馬くんは臆することなく何事にも本気で向かい合っている。これをカッコいいと言わずしてなんと言うのか。

また、冬馬くんは汚いこと、曲がったことが嫌いでもある。ズルとか裏工作とか、そんなものは自分には必要ないし、周りが企むことも良しとしない。冬馬くんは意図的に「誠実に生きよう」と思って日々過ごしているわけではないと思うが、だからこそズルいことをする人間が理解できないのだろう。おそらく「そんなことをしても意味がない」と思っている。なまじ才能があるからこそ、才能がないのをズルで誤魔化す必要がないからこそ、彼は他人にも潔癖を求める。これはある種悲しい性格だと思う。冬馬くんが現実にいたら確実にクラスから浮くタイプだ。体育祭の練習で「だるいしやる気ねーわ」とか言ってるやつらに「ちゃんと練習しろよ!」とハッパかけるタイプ。「ちょっと男子ー真面目に掃除してよー」タイプと言えばもっとわかりやすいかもしれない。しかし彼は幸いにも二次元のキャラクターであり、コミカライズでも友人はいたようなのでそこまで嫌われてはないだろう。たぶん。だが、のらりくらりとテキトーに日々を生きている人間からすれば、天ヶ瀬冬馬は苦手なタイプであることは間違いない。一緒に仕事したくねーなと思っている人たちだっているかもしれない。私なら職場にこんなやつがいたら嫌だ。私は日々をのらりくらりと生きたい。でも、冬馬くんはそれを良しとしてくれないのだ。私が冬馬くんのPであろうと思ったら、彼に恥じないように生きなければならない。そう考えたので、私は仕事を見つけて大学をきっぱり辞めた。数年前のことだが。

 

3.努力

冬馬くんには溢れんばかりの才能がある。あの黒井社長が見出した逸材なのだから間違いない。星井美希を、玲音を、そして天ヶ瀬冬馬を見つけて磨いた黒井崇男の審美眼を私は全面的に信頼している。黒ちゃんが見初めたということは、彼にはアイドルとしての十分な才能があるということなのだ。顔がいいし、歌も上手い。人を惹きつけるカリスマ性も申し分ない。だが、冬馬くんは決してその才能に驕らない。むしろ、自分はまだ上に行けると信じている。これも彼の才能のひとつだ。努力すればした分だけ、成長に直結する。なかなか難しいことだが、冬馬くんは「やればできる」を体現している。そりゃ努力すんのも苦じゃないだろうよと心の奥底で思ってしまう自分が情けない。自分の努力と冬馬くんの努力は質が全然違うだろうに。人は簡単に「努力しろ」などと言うが、結局評価されるのは結果だ(それが当然だと思っているが)。だから、努力を結果に結び付けられる冬馬くんを私は凄いと思う。努力の結果が世間やファンの反応として如実に表れるアイドルの世界は、冬馬くんにとってまさに天職なのだろう。自身の努力を証明出来たら、彼はまた上を目指す。その繰り返しだ。冬馬くんの目指す「トップアイドル」に終わりはない。冬馬くんはきっと、アイドルとしての最後のステージでも「目指せトップアイドル」と叫ぶだろう。常に「天ヶ瀬冬馬」を更新し続けるのが、アイドル・天ヶ瀬冬馬だ。

 

4.ファン思い

「仕事に大きいも小さいもない」「待っているファンがいるなら這ってでも会いに行く」……これらは冬馬くんが実際に言っていたセリフだ。冬馬くんの原動力はファンだ。ファンの喜ぶ顔が見たくて、冬馬くんはアイドルをしている。ファンのおかげでアイドルが成り立っているということを、冬馬くんは理屈ではなく本能で理解している。アイドルとは決して一方的な存在ではない。アイドルのパフォーマンスをファンが受けて、声援として返してくれる。それを受け取ってアイドルはまたパフォーマンスをする。誰も応援してくれなければ、アイドルはアイドルにはなれないのだ。冬馬くんはかつて「自分には何もない」と思っていた。普通に高校を卒業し、就職し、結婚し、暮らしていくのだろうと考えていた。そんな「何もない」冬馬くんを見つけたのは黒井崇男で、育てたのは大勢のファンだ。やればやるだけ結果を出せて上を目指せる「アイドル」は、冬馬くんの人生を大きく変えた。冬馬くんは何もなくなんてなかった。そのことに一番驚いたのは、他でもない冬馬くん自身だろう。だから冬馬くんはファンに感謝しているし、その感謝をパフォーマンスに昇華して返そうとしている。移動中だろうとファンレターに目を通すし、バレンタインに送られてくるチョコレートも全部食べるつもりでいる。冬馬くんはファンからのエールを全て吸収したいのだろう。彼にとって、自分たちを応援してくれる声は全て等しく大切なものなのだ。冬馬くんは自分を支えてくれるファンに全力で返したいと思っているし、歌を、ダンスを、想いを、届けたいと思っている。これだけ想ってもらえたら、ファン冥利に尽きるというものだろう。

はっきり言って、アイドルマスター、いや世の中のアイドル系作品に登場するアイドルキャラクターは、そのほとんどがファンのことを大切に思っている。よほど特殊なキャラクター設定でない限り、ファンをありがたく思っているはずだ。先ほども書いたが、アイドルはファンなくしてはアイドルたりえないのだから。だから、アイドルが「ファン思い」であることは当たり前のことで、今更取り立てて魅力であるとアピールすることではないのかもしれない。だが、私はあえて冬馬くんの魅力はそこにあると声を大にして言いたい。なぜなら、「天ヶ瀬冬馬はそういうキャラクターだから」である。

おそらく、SideMの作品中で冬馬くんは「ファン思い」というキャラクター性を強く表現されている。それが彼のアイデンティティのひとつであると、公式から提示されているに等しい。例えば柏木翼の「大食い」、水嶋咲の「カワイイものが好き」、硲道夫の「意外と熱血」等々、キャラクターというものはアイデンティティ=個性の寄せ集めで出来ている。その中で天ヶ瀬冬馬くんが持つ個性が、「ファン思い」なのだ。もちろん、先に挙げた翼も咲も道夫も、みんなファン思いであることは間違いない。だが、彼らの個性を挙げていく中でそれがランクインするかといえば話は別だ。なぜなら彼らは「ファン思い」以上に強い個性を持っており、それでキャラクターが形成されている。彼らにとって「ファン思い」は、出来上がったキャラクターを彩るパーツに過ぎない。では、冬馬くんはどうだろうか。私は、「天ヶ瀬冬馬」を形成するのに欠かせないものこそが「ファン思い」であると考えている。言ってしまえば他のキャラクターのような強い個性を持っていないということなのかもしれないが、アイドルにとって当たり前の「ファン思い」をアイデンティティとして掲げている冬馬くんは、強い。彼のキャラクターはアイドルありきで形成されている。それを欠点だとする人もいるかもしれない。でも、私はそんな冬馬くんが好きなのだ。

ひとつ言い訳しておくと、名前を挙げた他アイドルのことを貶しているつもりは毛頭ない。彼らは「アイドル」を差し引いても魅力的なキャラクターであると言いたいだけだ。その中で私は「アイドル」でなくなるとキャラクターが成り立たない冬馬くんが好きだというだけなので、そこに上も下も優れているも劣っているもないとだけ言っておく。

 

5.アイドルの擬人化

先の項目でも触れたが、冬馬くんはアイドルありきのキャラクターである。彼自身が言っていたように、アイドルになる前の冬馬くんには「何もなかった」。アイドルとしてステージに立ったその日に「天ヶ瀬冬馬」が生まれたと言ってもいいと思っている。何を言っているんだと思われるかもしれないが、私は哲学の話をしている。アイドルが先か天ヶ瀬が先か。余談だが、哲学科の授業で教授が「自分はここにいないと思う人?」と生徒たちに問いかけると数人が手を挙げたという話が私は大好きである。それはともかく、冬馬くんはステージの上で生まれたのだと私は本気で思っている。冗談ではない。ライオンキングのサークル・オブ・ライフのごとく、冬馬くんはスポットライトを浴びながら大勢の人間に祝福されて誕生したのだ。「天ヶ瀬冬馬」は、あらゆるアイドルの概念の集合体だ。才能に満ち溢れながら努力を怠らず、常に上を目指し、潔癖で、仲間思いで、何よりもファンのことを一番に考えている。そんな誰もが思い描く「理想のアイドル」の具現化として生まれたのが、アイドル・天ヶ瀬冬馬なのだ。SideMでも冬馬くんは徹底して「みんなの憧れ」「目指すべき存在」として描かれている。彼を見てアイドルを志した者も、彼によってアイドルへの向き合い方が変わった者もいる。冬馬くんがアイマス2からのキャラクターでなければ、私は彼を315プロダクション全員の集団幻覚だと主張していたかもしれない。みんなの目標として祀られた存在だと本気で考えていただろう。某水泳アニメを死後の世界だと本気で考察していた私のことだ。そういう「無」の考察はお手の物である。だがアイマス2という地盤のおかげで(?)私は冬馬くんを一応向こうの世界の現実にきちんと存在する人間だと考えている。「一応」というのは、正直まだ集団幻覚の疑念が拭えない部分があるからである。アイマス2とSideMは地続きではないのだから、やはり「天ヶ瀬冬馬」は315プロにとって都合よく作られた幻覚なのではないか?この問題は答えを確かめる術がないので、これからも私一人で悶々と考察していく所存だ。

冬馬くんが集団幻覚であったとしてもそうでなくとも、彼は「アイドル」の擬人化だ。アイドルであることは彼のキャラクターの大部分を占めている。アイドルでない冬馬くんが欠陥品であったとまでは言わないが、アイドルになったからこそ「天ヶ瀬冬馬」が完成したのは紛れもない事実であると思う。私はそんな冬馬くんが好きだ。アイドルになるために生まれてきたというより、生まれたときから彼はアイドルであり、アイドルになった瞬間彼はこの世に誕生したのだ。そんな冬馬くんがアイドルでなくなったら、どうなってしまうのだろう。冬馬くんが何年か後に引退したら?きっと、「天ヶ瀬冬馬」の概念だけをステージの上に残して、彼は消えるだろう。本人は引退後のことなんてこれっぽっちも考えていないだろうが。

 

 

気づけば7500字も書いていた。冬馬くんの好きなところを書き残しておこうと思っただけなのに、書けば書くほど冬馬くんへの想いが止まらなくなってしまった。

結局のところ、「冬馬くんのどういうところが好きなのか」という問いの答えは一言で言うと「冬馬くんであるところ」だ。私は冬馬くんが冬馬くんだから好きなのだ。「好き」という感情は、えてしてそういうものなのだと思う。